吃音を治せた話

タブー

 この手の話をすると当事者の間ではわりとぶつかります。どこかのお医者さんとかお偉いさんも治るなんて言いません。治らない人もいるから安易に治ると言えないなど、様々な理由があるのでしょう。そもそも自分が治ってないのに治った人をみるのも自分自身を苦しめるのでしょうか。吃音はなんて残酷なんだ。

腹式呼吸とか

 正直そんなの出来てようが出来てまいが関係ないと思います。健常者は喋れているから勝手に腹式呼吸になってるだけで意図的に複式呼吸して喋っているわけではないはずです。

 結局は吃るのが恥ずかしい、怖いにつきると思います。認めたくないとかもあるでしょうけど、吃音の人のほとんどは吃音に見えますし、それを健常者はなんとも思っていません。特に後者を自覚するのが当事者には難しいと思います。良い意味で人の心が分かればきっともっと楽しいのでしょう。

本題

 世界中で吃音が研究されてうん十年経ちますが、実はもう答えは出ているからこそ答えを出せてないとしている気がしてたまりません。まえおきが長くなりましたがそれを仮定して綴っている内容がこちらです。タイトルよりも私が吃音と奮闘する内容がメインです。心理的な観点も盛り込んでいつもより力を入れました。文字数が多めになりましたので有料にしてます。ご興味ある方はご覧ください。

吃音を治せた話|ひまんちゅ
ではさっそく題名の件ですが、 これは 過去に私が治った経験から お伝え出来ることです。 しかし、現在は またぶり返してしまっています。笑 ただ、 それを踏まえたとしても 私の人生において 今でも活かされている 貴重な経験です。 個人的には、 吃音は 少しずつ完治していく ものではないと思います。 それはコントロ...

まとめ

 吃音を治そうが治さまいが、そこまで苦しいなら吃音で困らなくなるために合理的に生きていくことが大切だと改めて自覚出来ました。